総院長プロフィール
総院長プロフィール
総院長プロフィール
— 緩和ケアの申し子として生きる —
緩和ケアは、私にとって、単なる専門分野ではなく、人生のミッションです。
外科と緩和ケアの両方を歩んできた私だからこそ、
がん患者さんの人生に寄り添う医療を届けたいと願っています。
中学生の頃から「全人的医療」への憧れ
高校受験期に山崎章郎先生の本と出会う
昭和大学医学部で髙宮有介先生と出会い、覚悟が固まる
若くして緩和ケア医を志すという“異端”の選択
外科医局へ入局した理由(緩和ケアを極めるために外科を学ぶ)
消化器がんの根治手術
緩和手術
良性・悪性を問わない手術
緊急手術(救命手術)と周術期管理
救命と治療に心血を注いだ日々
救えた命、救えなかった命
そこで見た“苦しむ患者と家族”の現実
→ 外科医としての重みが、緩和ケアの説得力を生む。
独立型緩和ケア病棟での学び
髙宮 有介先生、大嶋 健三郎先生のもとでの緩和ケアの研鑽
Total Pain の理解
看取りの現場で得た哲学
「緩和ケアはやさしい医療」という確信
昭和医科大学江東豊洲病院で緩和ケアチーム発足
外科と緩和ケアの兼任
早期からの緩和ケア
治療期の症状緩和
療養の場の選択支援
ACP・意思決定支援
外来緩和ケアの充実
地域への橋渡し
→ あなたの“実績”が最も伝わる部分。
大学病院から地域へ送り出す立場から
自らが“受け皿”になる立場へ
外来→訪問→看取りまで切れ目なく支える
ボーダーレスな緩和ケア
専門医不在地域でも緩和ケアを届ける使命
「がん患者さんのひかりになる」クリニックをつくる理由
緩和ケアは、やさしい医療です。
I didn’t find hospice. Hospice found me.
シシリー・ソンダース先生のこの言葉は、シシリー・ソンダース先生が歩んできた道であり、
そして今、まさに私自身の人生の道でもあります。
私は緩和ケアに“選ばれた”医師だと感じています。
がん患者さんの人生の伴走者として、あなたの生きる力を支えていきます。
【助けたい想いが、肉体と精神を凌駕した夜】
大学病院で外科医として働いていた頃、
土曜日の複数の予定手術を終えて、帰宅したばかりの夜20時、緊急の呼び出しが入りました。
患者さんは心臓外科術後で人工心肺が回っている状態。
壊死した大腸からの出血、大腸内視鏡で覗くといまにも破れそうな直腸粘膜。
手術をしても助けられない可能性の方が高く、執刀医からはご家族へ「手術をしなければ1-2日で亡くなります。手術をしてもおそらくは助けられません。それでも手術を希望されますか?」というシビアな説明がされ。ご家族は手術を希望されました。緊急手術が決定した後も手術室の準備には高度な調整が必要で、病院に駆けつけてから患者さんが入室したのは23時頃でした。
そこからさらに、
人工心肺管理下の重症患者の手術準備が整い、私たちが消化器外科が執刀開始できたのは 日付が変わった深夜0時すぎでした。
その後、17時間に及ぶ緊急手術が続きました。
夜間緊急時間帯のため消化器外科医はわずか2名。なんとか心臓血管外科の先生の応援は得られましたが、
夜通しの手術、終わった後の術後管理、そしてそのまま 月曜の朝には外来診療。
体力も気力も限界を超えていましたが、
「救える命があるなら、立ち続ける」その思いだけでメスを握り続けました。
懸命な手術の結果、患者さんはすぐに亡くなるという事態は回避できましたが、数週間後には亡くなり、救命は果たせませんでした。
残念な結果でしたが、ご家族が心の整理をする時間は作れたのかもしれません。
外科医にとって、何が正解なのかはわかりません。救命手術・集中治療にかかる医療費などの有用性や生産性の話をされてしまうと、返す言葉もありません。
しかし、「助けられないと解っていても数パーセントでも望みがあるなら」と、託したくなるのが人間の性です。「わずかでも救命の可能性があるなら」と手術を希望するご家族の想いを無碍にすることは、私にはできませんでした。外科医にも葛藤はありますが、この患者さんのエピソードは、命と正面から向き合ってきた外科医としての誇りであり、決して忘れられない経験です。